巨 木 紀 行
〜大自然への誘い〜
ハイダ族が守り続ける巨木の島
撮影・吉田繁  文・蟹江節子
(カナダ クイーンシャーロット諸島)
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 クイーン・シャーロット諸島はアラスカとカナダの国境近くの太平洋上に浮かぶ大小150の島からなる群島である。南北300キロに伸びる群島のなかでも南に行くほど、島は深い緑と静寂に包まれている。それは南3分の1ほどが国立公園に指定され、南端のアンソニー島には世界遺産であるハイダ族の村跡があるからだ。

 無人の島々には一様にレッドシーダー(アメリカネズコ)やイエローシーダー(アラスカヒノキ)、スプルース(シトカトウヒ)の巨木が林立している。針葉樹の巨木からは苔が下がり、倒木の上や地面もすべて苔に覆われていて、どこも緑一色だ。地面は歩くたびに10センチ以上も足が沈み込むほど柔らかい。森の気配が濃密に漂うここには今、9月になると川に戻ってくるサケを食べに現れるクマと、かつて島に連れてこられ棲み着いたシカとリス、ときどき空を舞うハクトウワシとワタリガラスがいるだけだ。6〜9月の間、ボートツアーでキャンプをしながら島々を巡る旅行者の数も環境を守るためにかなり制限されている。 

 しかし、これらの無人島にも100年前までは人々の暮らしがあった。レッドシーダーやイエローシーダーで巨大なトーテムポールや30メートルもあるカヌーをつくり、サケやオヒョウなどを獲って、30〜40人が一緒に暮らす大きな住居を立てて暮らしていたハイダ族の人々である。だが、島々の各地に1775年には6000人はいたというハイダ族の人々は1860〜80年の間に800人まで激減する。

 それはイギリスの貿易船クイーン・シャーロット号が島の名前と、天然痘を残していったからだ。生活を営むだけの人数を失った村人は北側の大きな島に集まって暮らさざるを得なくなる。

 やがて、第一次大戦で戦闘機に利用されるなど、クイーン・シャーロットの巨木は良材として注目され、カナダ政府はハイダ族の村跡も含めた森の伐採権を製材会社に勝手に与えてしまう。しかし、巨木とともに生きてきたハイダの人々は1974年故郷の森を守るために立ち上がり、10年以上もの闘争の末に政府に勝利。88年、クイーン・シャーロット諸島の南側はグアイ・ハアナス(輝く土地)と名付けられ、国立公園として保護されるに至ったのだ。

 残念ながら国立公園ではない島の巨木はいまも伐り続けられ、しかも、その50%は日本へと輸出されている。「支配する」という言葉を持たないハイダ族たちは、「受け継ぐ」という言葉を心の糧に命懸けで森を守った。その地域だけが、巨木にあふれるいのちの輝く土地として今も残っているのである。
北緯52〜54度にかけて南北に伸びるクイーン・シャーロット諸島は全島がレイン・フォレスト(雨林)。
国立公園北部のタヌー島の村跡には倒れたハイダの住居の梁に沿って成長したスプルースがあった。かつてはここにも300人のハイダ族が暮らしていた。
国立公園内の島々を巡るにはボートツアーで行く。ツアーは4泊5日ほどでテント泊。自然を守るためローインパクト・キャンプが原則で、泊まった跡を一切残さない。島々のなかには温泉島もあるので、自然を満喫したい人には快適な旅となる。
世界遺産であるアンソニー島の村跡には高さ10メートル、直径1メートルほどのトーテムポールが残る。風葬の習慣があったハイダにとってトーテムポールは墓棺柱でもあった。ハイダの人々が森を守ったのは先祖が静かに自然に還っていくことを望んだからでもある。
とにもかくにも緑一色の世界。森の地面は裸足で歩けるほどフカフカとしてやわらかい。
豊かな森は豊かな川や海を育む。9月には大量のサケが遡上し、クマの食べ残しが森の土壌の栄養分になる。健康的な自然の循環が巨木の島をつくりあげた。
スプルース(シトカトウヒ)は日本の住宅建材としても有名だ。推定樹齢1000年、幹周り16m、樹高30m以上のこのスプルースならツーバイフォー住宅が5棟はできるという。