Setsuko Kanie

樹齢1000年、樹高18メートル。イチイの古木はイギリスに多いが、枝垂れているものは稀。枝張りは4000平米になる。

ウィッティンガムの枝垂れイチイ

(スコットランド・東ロジアン州)

スコットランドの古都エジンバラからクルマで東へ50キロほど。イースト・リントンという小さな町に到着すると、伯爵が私たちを出迎えに来てくれていた。伯爵のクルマの後をついて行くと、やがて田舎道の両側は美しい田園地帯になり、その景色に同化するかのように質素な門があった。
使用人によって内側から開けられたその門を入ったが、その脇に彼らの住まいらしい建物が見えるだけで、その先には参道のように木立ちの間を抜ける道しか見えない。その道を10分ほど進んだところでやっと、伯爵の住むウィッティンガム城は姿を現わした。伯爵がわざわざ町なかまで迎えに来てくれたのは、道からは決してこの城が見えないためだった。
ひとり暮らしだという伯爵の住まいは城といっても塔がある大きな邸宅ほどの大きさだったが、伯爵の所有する土地は広大で、そこには木が好きだという伯爵が自身で植えた木々が何100本とあった。その巨木の庭を愛犬とともに案内くれた後、最後に伯爵が連れていってくれたのが、この枝垂れたイチイの木だ。
枝垂れた枝がほぼ全周を覆うように地面までびっしりと垂れているため、イチイの木の下に行くにはたった1カ所にトンネルのように開いた穴を這うようにして行かねばならない。伯爵は穴の前まで案内してくれると、「木との時間を堪能してください」と城へと戻った。
イチイのドームの中へと入ると、縦横無尽に広がった枝に囲まれた空間では空気も一変。崇高な気配さえした。この木の何がそうさせるのかわからなかったが、イチイの木の下に立った途端に感動が胸に広がり、言葉を発することができなくなった。巨木には少なからず感動を覚えることが多いが、これほど胸が震えたことはない。 伯爵に聞いたところ、じつはこの巨木にはスコットランドの歴史的事件が絡んでいる。1567年2月、スコットランド女王メアリの2番目の夫ダーンリ卿が暗殺され、同年5月、女王は暗殺者であるボスウェル伯と結婚する。暗殺者はボスウェルと当時この城の持ち主を含んだ4人。この4人が暗殺事件のひと月前にそれを話しあったのがこの城の庭で、おそらくは周囲から見えないこのイチイの樹の下だったというのである。
まさに「ハムレット」を地でいく事件。その後、メアリの息子はイングランド王になっている。実際、シュイクスピアはこの出来事を下地にストーリーを書いたという説もある。
恐ろしい密談が行われた場所ではあるが、その後、この巨木の感動を味わってもらおうとさまざまな友人を連れていくと、誰もがこの木の下では無言になり、心を震わせる。何度も行くうちに気づいたのが、枝垂れた枝が地に着いて根づくと新しい木が生え、その枝が古い枝を支えている。ドームの中には無数の支え合いがある。その姿に無意識のうちに私たちの心が反応してしまうのではないかと思っている。

Setsuko Kanie

右奥が枝垂れイチイの巨木。外側からは緑の葉を繁らせた普通の木に見える。伯爵によれば、これは雄株。敷地内には同じ樹形に育っている樹齢200年の雄株もある。


Setsuko Kanie

バルフォア伯爵は日英同盟に尽力したバルフォア英国首相(在位1902〜1905年)の子孫にあたる。